いつか聞いた話のつづき

今日も小説を書いて考える

つまらない日に

アナログフィッシュのライブに久しぶりに行ってきた。

本当に、10年ぶりくらいだろうか。

一番好きなバンドはアナログフィッシュです、と素直に言えないときがある。「斜に構えてると受け取られるか」とか「言っても知らなくて気まずくなるだろうか」などと、そのときそのときの言い訳を考えながら、ついついその相手との最大公約数的なバンドを口にしてしまう。

 

そんな気持ちが、今日の1曲目で打ち破られた。

僕はなんでもっとこのバンドのライブに行かないんだろう、なんでもっとこのバンドを好きだって言わないで来たんだろう。

 

久しぶりにライブに来れたきっかけは彼女との出会いだった。全方位的に趣味の合う彼女を前に、自分がなにを好きかを俯瞰的に見ることができて、「このバンドが好きだ」と再確認できたのだ。

 

なにもかもがいい。バンドとしてのアンサンブル。歌声のハーモニー。感情のあわいを振り子のように行き来する歌詞。下岡晃と佐々木健太郎というふたりのシンガーソングライターを擁し、そのどちらもが全く異なるスタンスで曲をつくり、ときには共鳴・共振しながら23年歩んできたバンドだ。すべての事象がパラレルに存在することを余白に滲ませながら、ときに熱っぽく、ときに平静に歌っていく。

くっきりと言語化できない歯がゆさ、いたたまれなさを彼らは一貫して歌っていて、小説を書きながら、ずっと影響を受けてきた。

そんなバンドがいまも現在形でつづいていることの奇跡(それは本当に奇跡としか言いようがない)を思った。

 

自分にとっての白眉は『Yakisoba』だった。

「家に帰ったら焼きそばを食べよう   3食入りの食べ慣れたやつを」という冒頭のフレーズが、深く突き刺さってしまった。なんというか、つまらない、なにもない一日を暮らしていくことへの肯定が、この1行にもう集約されていて感極まってしまった。好きな人と一緒にいて楽しいときもかけがえのない糧だけれども、つまらない一日を共にすることの美しさが少ない言葉で歌われている。その曲のあとはほとんどぼうっとしていて、約1時間のライブはあっという間に終わった。

 

帰り道、彼女とふたり余韻に浸りながら、つまらない一日こそこの人と一緒にいたいと思った。それは多分ずっと思っていたけれど、アナログフィッシュのおかげでいまようやく形として目の前に浮かんできてくれたことだ。

 

とにかく僕はこのバンドが大好きだ。それ以上でも以下でもない。人生で一番長く付き合っているバンドだ。

もっともっとライブに足を運ぶので、末永くつづけてほしいと思う。