いつか聞いた話のつづき

今日も小説を書いて考える

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  中庭に出ると結構暑かった。日差しの方を睨みながら「暑!  絶対太陽のせいやん!」と大西が言う。本谷も私も笑った。非常階段で日陰になっている場所が空いていたからそこに移動。トイレの窓を背にして座ろうとすると本谷がちょいちょい待って、と言いながらバッグを漁る。「レジャーシート持ってきた」とバッグから出した手を私たちに見せる。そこにはなにもないのだが、本谷は胸の前でそれを広げる手つきをし、「ポチャッコ~」と声をくねらせる。「発音おかしくね?」と大西が言った。本谷がしゃがんで、それを座ろうとしていた辺りのコンクリに敷く仕草を待ってから「どっこいしょ」と大西が座る。私も座る。コンクリの上には小さな石のつぶが転がっていて、それがお尻に鈍く刺さる。
「カレーの匂い」私がお弁当箱のふたを開ける仕草をすると隣の本谷が言った。「お弁当、カレー?」「いや、コリアンダー入れて鶏肉炒めただけ」私が答えると「コリアンダー」と大西が呪文みたいに復唱する。「佐々木みたいに料理できるようになりたいわ」本谷が言って、空の手を口元に運びながら「まい泉カツサンド、どんどん小さくなってる気がする」。
 四方を校舎に囲まれたなかに、いくつもの集団ができている。制服とくたびれた上履きやカラフルなスニーカーがそれぞれにまったくちがう動きをする。ほとんどの廊下の窓は開いていて、はっきりとは聞き取れない話し声がいくつもしていた。ダンス部が、体育館の入口のガラスに自分たちを映しながら踊っている。体の軸を保ったまま手足が動いて、顔はずっと正面を向いているのを見ていると地面が動くみたいな感覚があって、それは砂浜で感じるあれと一緒だと思った。非常階段を使って降りてくる雑な足音と笑い声。
「暑いくせに日陰はちょっと寒いんかよ」大西がまたぼやく。
「どうせえっちゅうねん」「ジャージ貸してあげる」本谷が大西の肩に上着をかけるジェスチャー
「センキュー、一生忘れない」「うん、忘れないで」「なんか、LUSHみたいな匂い」「やめろ。え、嗅ぐなら返して」私は隣で笑っている。
 本谷が私の方を見て「修学旅行大丈夫そう?」と聞く。「あー、うん。バイト代で間に合いそう」と答えると無言でうなずいて、唇にリップを塗る仕草をする。「テレオペきつくない?」「まぁ、お金もらってるからね」私の答えに今度はうなずかない。大西が「母親が、真凛ちゃんめっちゃよく働くって絶賛してた。比較されて私はボコボコだけど」と言う。グレーの建物の上に青空がある。すねが痒くなってソックスの上から掻いた。

 きゃあ、と声が上がった。校庭に繋がった通路の方からだった。三人くらいの女子がしゃがみこんでいる。非常階段の踊り場にいた子たちが「なんか、犬?」と言っているのが聞こえた。しゃがみこんだ子たちが周囲の子に手招きしたり、自発的に寄ってきたりで人だかりが増える。廊下の窓から顔を出す生徒たちも見える。後頭部ばかり並ぶ光景を見ていたら、いつの間にか私も立ち上がっていた。歩きだすと本谷も大西もついてきた。中庭を斜めに横切った頃には人だかりは一クラス分くらいになっていた。「やばい」「絶対飼い犬でしょ」「どっから?」「ねえ! 目!」誰が喋っているのかわからない声を聞きながら人ごみに体をねじ込むように入っていく。佐々木、と本谷が後ろから呼んだけど応えなかった。左右からちがう匂いがした。ブレザーの紺色が割れて、しゃがんでいる子たちが見えた。ごめんね、と声を発するとしゃがんでいた最前列の子の一人が半分振り向いた。私の顔をちゃんとは見ずに隣の子に「スパニエルでしょ」と言った。「黒い」「いや、白の」「白か」「そういう種類があるんだ?」「かわいすぎ」「結構老犬」「生後すぐだよ」「触らない方がいい?」
 目の前、昇降口までカーペットのように敷かれた、アクアブルーのタイルの上にはなにもいない。一人の子が宙に手を伸ばし、頭を撫でる仕草をした。後ろから押されて私は転びそうになり、前の子の背中に膝が少し当たり、ごめんねと謝った。反応はなかった。そのまま脇を通り過ぎ、渡り廊下の下をくぐって校庭に出た。いつの間にか、体が金属のように重くて冷たい。大西と本谷がついてきていた。
「家に帰ったら全部燃えてたらいいのに」
背中を向けたまま、私は二人に聞こえてない方がいいなと思いながら呟いた。二人はなにも言わなかったから、聞こえてないのかもしれなかった。風で、近くの防球ネットが振動してガチャガチャ音を立てた。校庭の向こうで背の高い木も葉を揺らしていた。そのとき、頬のあたりに冷たいものが当たった。
「雨?」本谷の声に私は振り返る。本谷も大西も空を見上げていた。
「雨か」大西が言った。また、今度は耳に水滴が当たった。私たちは顔を見合わせた。同じように手を広げる二人を見ていたらなぜか涙が出てきた。空は青いだけだった。でもそれは誰が見ても青だったと思う。