※できるかぎりネタバレしないで書きます。
演劇を観てきました。
前作『悼むば尊し』がとても良かったので、今作も期待していました。
開演前、まずはセットの作り込みに感心しました。生活感のあり過ぎる部屋。壁の質感や雑然とした物の配置、ローテーブルの下のイヤホンとか、細部まで作り込まれていて、見ていてもう楽しい。本当は終演後舞台に上がってひとつひとつ間近で見たかった...。
そして開演。
登場人物が入れかわり立ちかわり部屋に入ってくる。この時点では一人一人の詳しい説明がなされるわけではないのだけど、服装や振る舞いである程度の想像ができる。同時にそれぞれの人間関係(上下関係)みたいなものも見えてきて、すでに胸がざわざわとしてくる。
特に序盤の氷買う買わないのところとか、いたたまれなかった。
主催池内風さんの演劇は、もちろんまだ2作しか観てないけれど、常に観客の心をざわざわとさせる。なんというか、一人一人の人物を多面的に光を当てることで、定点で感情移入をさせないからだと思う。
さっきまで心を寄せていた人の醜い面が見えたり、最初は嫌いだった人物の優しさが見えてきたり。観客はシークエンスごとに視点を変えざるを得なくなり、キャラクターそれぞれの人格が複雑に彫刻されていくから、容易に受け止められなくなってくる。
今作、小道具の配置が度々変わる(花瓶とか、ティッシュ箱?とか)のがなぜか印象的だったんだけど、それは感情のやり場のなさ、心の置きどころのなさとリンクしていたように思う。
登場人物それぞれ魅力的かつ生々しかったんだけど、特にアサギリさんが印象に残った。彼女のしたことの功罪はジャッジできないまま思い出している。彼女が持ち込んだ「百合の花」が、彼女自身の振る舞いを象徴していた。
途中マリーゴールドの花言葉の話が出てきたから百合も調べてみると(想像から遠くはなかったけど)「純粋」や「威厳」と出てくる。
真っ白で堂々と咲く百合の花を、登場人物の一人が「臭い」と言って遠ざけようとする。
アサギリさんのようなあまりにもな真っ直ぐさ、慈悲の心が、疎まれる場合も往々にしてある。
先日の都知事選後、「リベラルの掲げることは生活に余裕のある人の視点」みたいな話を見た。それ自体に納得はしていないけれど、本作のアサギリさんを観ていてそれを思い出した。
前作『悼むば尊し』もそうだったけれど、池内風さんの作品では、ディスコミュニケーションが度々発生する。今作でも終盤に激しい議論の対立があるが、なんというか、それぞれの主張が噛み合ってない印象を受ける。AとBの主張がぶつかり合うのではなくて、それぞれ別の方向に消えていくような。要するに議論のようでいて、議論になっていないように見えるのだ。
そしてこれは、SNS上では頻繁に繰り広げられているように思う。議論にならない、大声で刺激的な言葉の応酬。相手の話を聞いていない。自分の話しかしていない感じ。
観客席から俯瞰で眺めることで、それに気づくことができる。
このあと、今作のテーマとして受け取ったことなどを書こうと思ったけど、それは公演が終わってからにしようかと思う。
とりあえずここまで読んでくれた人は観に行ってほしいです。まだ席が残っていればですが(当日券も出ていたと思う)!