いつか聞いた話のつづき

今日も小説を書いて考える

お墓の前でハグをする(短歌)

描きかけのグラフィックアートにはまたここに集う若者の夜が

東京にいながら京都で人を殺すあとはトリックを考えるだけ

朝起きてケンタウロスになっていて今日の出社は難しいです

クラムボンも爆笑するレベルだろシャリシャリとした舌ざわりがある

ゼッケンに書かれた「MIZUNO」が名前だと思ってたのがいまの彼です

想像の五倍の悪意がこの世界なので検索するのはやめる

あの人「いつ死んでもいい」って言ったけど私がいるのに死ねるの悲しい

消えてしまうことより置いてかれることが嫌なんだ波の花を蹴る

淡々と番号札で呼び出され崖から飛んでいくような日々

あの頃好きだったバンドのホームページ見たよボーカルが代わっていた

それはまだインクが出るか確かめるためだけに書いた手紙であった

青く澄んでいないのが僕で赤黒く滲んでいるのが東京タワー

日記には書かれていないことがある お墓の前でハグをしたこと

喋らない鯖(短歌)

ジャン・リュック・ゴダール観たことない彼とゴダール展に行くようなこと

恋人の弁当箱に隠れてたブロッコリーがずっと泣いてた

抗体も好感度もない若者の花火の煙ひとけのない東屋

この世界の反射青い醤油ざら無人販売の餃子浸し

ラディカルであることパッシブだったことラブレターのように覗きこむこと

ぜんぶプレイリストに放りこんでくれ不感症なんて死んでゆく言葉

蝉とり少年もやがて恋をするプールのあとのような火照りで

それぞれが意志を持ち川を遡る橋の上からそれが見えるか

テロリズム眠気とともに優しさも去るこどもを裏切ったテレビ

ヘローヘローヘローハウロウ吉田うどんスメルズライクティーンスピリット

ログインの回数で愛が量れるか冷たいパスタを巻いたまま寝る

君によく似た鳩だったから飼ってたそんな理由で手品師になった

君を全力で殴るつもりで煮るいいよね鯖は喋らないから

『室内でばりエアコンでも灼熱の方におすすめの映画10選』

控えめな男の子が急に歌うブルーハーツで「皆殺しのメロディ」

スクランブルですれ違っただけの人白Tシャツに「見えるのかおまえ」

審判が急にドリブルを始めた「ピッチの風を感じたかった」

月曜日私のいない教室をだれが一番乗りで汚すか

僕たちの前世が鳥なら(短歌)

まだ明けてない空のこと見てると君のつくった歌まだおぼえていた

劣情と潮の満ち干きと沢庵の真ん中をいま黒板消しが

忘れたい夏の暑さがすさまじくベランダで全裸だった蝉を

コンビニまで行くならアイスをひとつグリーンランド山頂に降雨

好きという言葉と吸殻が増える君のログインを待ってる羊

会いたいと言いたいときに言えるなら困ったときはシュガーレイズド

ミスドグリムスパンキー聴きながら泣いてる汗じみのリュックサックと

コールアンドレスポンスしたいね「愛だよ」「愛かよ」若者の歌で

日焼け止めの落ちた路上急行が止まらない駅蛍光の緑

ろくなことしてないよねって笑い合うもし僕たちの前世が鳥なら

名づけられた犬と名前のない路地の傘ジャンクフードのような雨音

来ない電車を待つみたいに信じてみないか?団地の廊下が灯る

「君だって色々してきたわけでしょ?ぜんぶ時間と私のせいにしないで」

泣きながらつくったパスタ色ちがいの皿に描かれた天使のあくび

だれかの胸ぐらを掴んだ愛想笑いでだれかの非道をみとめた

「なんか雨降ってる?音が聞こえてる」そうかもねって窓も見ないで

髪を乾かしながらトーストを待つ「露骨な愛は弓のない矢だよ」

虹をわすれること

大切なことなのにキスをしてる途中で思い出したから、すぐにつぶやいて脳に刻むことができなかった。接したままの唇が僕の動きに合わせて動いていた。お互いを食べようとしてるみたいだった。キスが終わって唇が離れたとき、僕は「さやかのことが好き」とようやく言った。さやかは目を丸くして「えっ急に?」と言った。「そんなのずっとそうじゃん」とさやかは続けた。僕はその言葉にとても驚いて、でもそうだったんだなと思った。「私もずっとそうだし」とさやかが目を逸らして言った。僕は彼女のシャツの襟元に鼻を近づけた。かすかに香水のような匂いがしたけど、洗剤かもしれなかった。僕らはそんな風に久しぶりに告白し合ったから全身がちょっとムズムズしたというように服を脱いだ。自分の服は自分で脱いだ。消しゴムのカバーを取ったみたいにお互いの肌が露出した部分よりも白い。季節はいつでもいいが夏だった。手をつなぎながらもう一度キスをする。

なんでだろう。忘れるってことがないから逆に見えにくくなっていて、近づきすぎた壁画は全然なんだかわからない。細部のことが全部につながっているというのは少し気味が悪いけれど、好きだというのはそういうことなんだと思う。虹をふたりで見たことがあって、虹はすごくくっきりとしていて三階建てのスーパーマーケットの屋上の辺りから生えていた。虹のほとんどを見るのは初めてだった気がした。わからないけど、多分そうだと興奮した。樹一は窓枠に両肘をついて身を乗り出していた。だから大きな窓だったと思う。そうか、大学の北館の階段の踊り場か。虹はつまり、空気中の水分が太陽光に照らされているということで、輝いてる虹がえらいのか、太陽光がえらいのか微妙なところだという話をした。話してるあいだ樹一が持ってるマックの袋からポテトの匂いがすごかった。ポテトは食べる前から食べてるような気分になる。誰もいない階段で、手の側面が触れていた。なんかさ、そういうときのことを覚えてるのは脳なのか? 細胞そのものなのか?

帰り道、ボウリング場のあかりが屋上のゴリラを照らしていた。下からのライトアップは怖いという話をした。さやかはサンダルで僕の足を二回踏んだ。歩くの遅いよ、と言うけど、そもそもなんで前後になって歩いているんだっけ。それで思い出す。僕はさやかのことがずっとずっと好きで、でも思い出せるのは現在より過去のことだから、一秒後のことすらよくわからない。それでまた僕は思い出すだろう。それでさやかがずっとそうじゃんって言ってくれるはずだ。はずなのか? こういう信頼をさやかはどう思っているのだろうか。ずっとってなんの保証もない。それは誰もがそうなのだ。みんなどうやってこの先を歩いているのか? 屋上のゴリラの後頭部は照らされていない。大きな黒い背中だ。バスロータリーには結構人がいた。暑いなぁとさやかが言う。僕はちょっと泣いていた。バレないように気をつけて手をにぎる。ずっとにぎってたはずなのに、いま確かににぎったのだ。

私たちの国

ひとりで食べたラーメンの丼を洗い終え、タオルで拭いた手をリビングテーブルの上の本へと伸ばした。白一色の装丁に黒く力強いフォントで『歴史は噓をつかない』と書かれたその本は、星哉が市立図書館で借りてきたもので、彼が読書感想文を書くための題材だ。どういう経緯でこの本を選んだのかわからない、適当に棚から抜き出しただけなのではないかと思う。『歴史は嘘をつかない』は日本の戦中・戦後史について書いた本だった。著者は五代命作。聞いたことのない名前だった。私立大学の教授であるという。私はスピンを挟んだページを開き、読み始めた。手元にチラシの裏紙を置き、メモ代わりに使う。キーワードとなりそうな言葉を書き取りながら読み進めていく。
 星哉から読書感想文の代筆を頼まれたのは一昨日の夕方だった。夏休みの終わりまで一週間を切っていた。どうしてもこの宿題だけができないのだという。たしかに星哉は以前から文章を書くのが苦手な方だということは把握していた。最初は断った。星哉の為にならないのは明白だった。それを揺るがしたのは帰宅した夫の意外なほど無頓着な言葉だった。
「べつにいいんじゃない? 読書感想文って文化が子供の読書ばなれを生んでる、なんて話もあるし。誰しも苦手なもののひとつやふたつさ……」
 翌朝、代筆を引き受けることにした。星哉はやった、と声をあげて喜び、朝食をとると自室にあがっていった。夏休みの大半を彼はその部屋で過ごしている。時々だれかと話す声が深夜まで聞こえてくる。
 読書をするのは久しぶりだった。最後に読んだ本が何であったかすら思い出せないほどだ。

「結構ぶあついんだねぇ」
 帰ってきた夫が向かいの席で夜食を食べながら言った。解凍したご飯に肉じゃがをぶっかけて食べている。お風呂からあがったばかりの夫の額には早くも新しい汗が滲んでいた。おもむろに視線を低くし、本の表紙の文字を読もうとする。
「歴史は嘘をつかない……ふん、どういう本なの?」
「うん、まぁ歴史の事実はじつはこうでしたっていう解説書、かな」
「五代……へぇ、R大の」
 夫は顔を茶碗に戻し、またかっかとご飯をかきこみ始めた。グレーのスウェットの襟がよれていて下から白い肌着がのぞいている。そろそろ買い替えが必要かもしれない。
「昔のことならトヨさんに聞いたら?」
 私は本の文字を見つめたまま黙っていた。文字が目の表面をすべるようにダブって見えた。最近長時間パソコンを使ったり活字を読むとかすみ目がある。あるいは乱視か。
「おばあちゃんからは散々聞いたから、べつに今更だよ」
「まあたしかに……そこまで綿密に取材することでもないか。作文の出来が良すぎてコンクールにでも出場になったらやばいもんね」
 そう言って夫は笑った。息子の文章ぎらいを私の遺伝だと言い張っていたわりには呑気な冗談だ。食事を終えると夫はそそくさと寝室へ入っていく。なんとなく面倒で、夫の茶碗を水につけるだけにして、口をすすぐため洗面台に向かった。

 トヨさんが住む老人ホーム『四季の花』は周囲を森林に囲まれて静かに佇んでおり、こざっぱりとした深いブルーの外観は中流層向けのマンションにも見える。広い玄関の透明な自動ドアの向こうにカウンターに遮られた女性の半身が見えた。玄関に入り日傘を閉じて会釈をすると、窓口の女性は明るく「こんにちは」と笑いかけた。受付用紙の記入を終えトヨさんの部屋へ向かう。『松賀トヨ様』と花で飾られた表札のかかった扉をノックすると「はい」と返事がある。扉を横に引くと、ベッドに腰かけたトヨさんが見えた。
「あら、真露(まつゆ)?」
 トヨさんが小さな目でにっこり笑い、サイドチェストの眼鏡を手に取った。それをかけながら、
「てっきり良子だと思ったわ。元気なの?」
 母の名前を口にする。眼鏡を通したトヨさんの目はぎょろっと大きく見えた。
「元気だよ。おばあちゃんは?」
「元気よ。食べ過ぎて太ってしもうて」
 そう言って自分の横腹をさわって笑うトヨさんは、しかしちっとも太っては見えない。三年前に脳梗塞で倒れたときに比べればむしろだいぶ痩せて見える。徳島の一人住まいからこちらのホームに移ったのが二年ほど前だ。本人は認知機能の衰えこそあれそれなりに元気そうなのだが、体型は痩せたまま変わることがない。慣れない場所での生活で気苦労もあるだろうと思う。ペットボトルのお茶を開けて飲むトヨさんの横顔、頬のあたりのくっきりした縦皺が、衛星写真で見る砂だらけの惑星の峡谷みたいに思えた。
「毎年この時期はな……あの年を思い出すわ」
 トヨさんが唸るように喋った。ここから始まる話がどのような内容なのか、私には充分わかっている。
「大して暑うない夏やったのに、いま思い出すとなんでか暑かったような気がしてしまう……」
 終戦の年のことを、トヨさんはよく語った。家族で夏休みに遊びに行くことが多かったから、その時期になるとなのか、年中話すのかはよく分からなかった。それは大抵畳敷きの居間で、外からは蝉の声がし、テレビはNHKで線香の香りがしていた。特に七月四日の大空襲の話をトヨさんはくり返し話した。その時間、子供であったトヨさんは当然寝ていて、なにか音がすると思った次の瞬間母親に叩き起こされたこと。なんで目を覚まさなかったのかと驚くほどすでに空襲警報のサイレンがひび割れた音で辺りを包んでいたこと。暗がりを大して暗いと思わなかったのが空襲の炎のせいなのか、記憶のなかで修正されたのか今でもわからないこと。走りながら踏んだ、おそらく誰かの腕の感触。その腕が生きていない人のものだとなぜか瞬時に分かったこと。焼夷弾が焼いた学校の前で会った同級生とはその後会えていないこと。記憶の中のトヨさんの話はいつも微妙に時系列が変わったり、話すトーンにも変化があったが、近年はむしろ語りが均一化されてきているように感じる。伝えることよりも語ることそのものが目的化されているからか? と、自分でぞっとするような言葉が浮かんだ。
 帰りの電車で本を読み終えた。最後の脚注まで目で追い、再び巻頭にもどった。二度目の読書をしながら頭のなかで原稿用紙を広げ、どう書き出すか思案していた。危うく降り過ごすところで最寄り駅に降り立った。辺りはすっかり暗く、だが蒸し蒸しとした空気は昼のままだった。

不機嫌そうな顔で星哉が階段を下りてきた。ゲームの途中だったのか、会話の途中だったのか、すでに夫のいるリビングテーブルに荒っぽく着席した。夫はちらっと星哉を見て、すぐにテレビに視線をもどす。私は大皿のから揚げに添えるレモンを切り、テーブルに運んだ。テレビを見ると七時台のニュースをやっていた。市内の景品交換所が窃盗団らしきグループに襲撃され、従業員が刺されて重体だという。アスファルトにガラスの破片が飛び散る現場にアナウンサーの声が重なる。犯人は捕まっていない。
「近いな」
夫が呟いた。私は炊飯器の蓋を開けた。特有の甘いにおいに胃が刺激され、唾が出てくる。
「多いね、最近。外国人の」
白米をよそいながら私は言った。三つの茶碗を持って食卓に並べ、自分も席につく。夫がいただきますと言い、それぞれが箸をもつ音がした。
「外国人?」
夫が白米を口に運びながらこちらを見た。
「窃盗団でしょ。アジアから来てるんだって」
夫が顔をしかめた。あわてて胸を叩く。ごほごほと咳をして私になにか訴えている。詰まらせたのだと思い、水を持ってくると夫はそれを急いで飲んだ。あぶねぇ、と言う夫の目は潤んでいた。星哉は無言で白米をかきこんでいる。そういう仕草は夫にそっくりに見える。
「で、どうなの作文は?」
 夫が訊いた。私はレタスとトマトのサラダを頬張り、何度か頷いてみせる。飲み込んでから笑って、
「やっぱり久しぶりすぎて難しい。書き出しとかぜんぜんわからないし」
「書き出しって懐かしいフレーズ」
「内容はもう大体決まってるのに」
 星哉はなにも言わず、一秒でも早く自室にもどりたいというように目の前の食事をガツガツと食べる。
「内容って?」
「日本の歴史のなかにはね、あきらかな間違いがまかり通ってることがたくさんあるの。で、それっていうのは教育システムのせいでもあって、だからこれからの教育システムについても視野に入れて……」
「はは、ちょっと大仰すぎない? あくまで星哉が書くものなんだから」
「もちろんレベルは落として書くけど」
 レベルを落とすという言い方が気に食わなかったのか、星哉が私を睨むように見てまた視線を茶碗にもどした。
 星哉が担任の教師に呼び出されたのは、始業式から一週間後のことだった。「読書感想文のことで」と、帰ってきた星哉はぶっきらぼうに言ってそのまま部屋に上がろうとする。
「怒られたの? ほめられたの?」
 台所にいた私が訊くとキッと目の力を強め「怒られたに決まってんだろ!」と怒鳴った。私の全身を電流のように貫くものがあった。
「こんなこと書くなって延々説教だよ。おれが書いたんじゃないのに。成績下がっても文句言わないでよね」
 そう言うと階段を荒々しく昇っていく。私はその背中を見つめ、料理の手を止めてしばらく放心した。ぐつぐつとお湯が煮えていた。火を止め、そのままパソコンに向かう。五代命作、で検索しブログに飛ぶ。「在日デモ参加者の正体」と題された最新の投稿を開き、頭から読む。「週末、永田町でまたデモに出くわした。見知った顔が何人もいる。というのも当然、彼らは共産党員だ。この手のデモに毎週のように参加している」ブログには参加者の画像が載っている。拡大された写真は粒子が粗く、モザイクが顔の形を複雑に乱していた。「それにしても参加者の平均年齢が異常に高い。毒々しい色使いのプラカードを持ったジジババがウォーキングみたいな恰好で声を張り上げ、それを歩道の若者たちが眉をひそめて見ている……。まことに残念だがこの分断は彼らが望んで生んだものだ。日教組による極端な左翼教育、ネクラな自虐史観、特亜擁護等々。さもありなん、である」私たちが目指すべきはこの国を愛する若者を育てること。歴史を誇りに、伝統を守り、もう一度強い国を造ること。「はっきり言って彼らのしていることは実家に金の無心をするようなものだ。『人権』とやらを盾に、国の脛をかじろうとする。となればさっさと『家』から追い出すほかない。」記事にコメントをしようとするが、なにも浮かばず評価ボタンを押すだけにした。胸の辺りがなんだか熱っぽかった。キーボードの上に置いたままの指がわずかに震えている。

「あら、真露。久しぶり」
 トヨさんは私がこの間来たばかりなのを忘れているようだった。私はぎこちなく微笑み、
「元気?」と尋ねた。
 トヨさんは頷いて、なにか話したそうに口を開けた。言葉が出てこないのか窓の方に視線をやってその口を閉じた。
「ねぇおばあちゃん」トヨさんが私の方をゆっくりと見る。
「空襲の時のこと、夢に見たりはしない?」
 私の言葉にトヨさんが表情を少し硬くしたが、一瞬のことだった。老人と思えない機敏さだ。それから大仰に顔をしかめ、
「見るねぇ。なにしろあの光景は焼きついて死ぬまで離れないよ」
 と言った。さっきまでよりしゃがれた声は昔、私や従妹たちを前に怖い話をするときと同じようだった。窓の向こうの小規模な竹林が風にあおられて音もなくしなるのを見た。話すあいだ、トヨさんの目は瞬きで休みながらどこか一点を見つめていた。普段よりなめらかに回る舌が入れ歯の奥にちらっと覗いた。私は腹の奥がすうっと冷えていくのを感じていた。
「そうして私たちはなんとか眉山に登ったよ……」
「頂上にはたくさんの人がいて」私の口から自然と言葉が出た。トヨさんが目を見張って私を見た。盗人を見る目だった。
「炎につつまれた街の方を見てた。大人たちはほとんど声も発せないみたいだった。私は木にもたれかかって寝間着姿の大人たちの背中を見てたんだ」
 これが自分の声か、と思うほどしゃがれていた。言葉が体感を伴わず、ただ音だけの存在として耳をくすぐる。ぼやーっと浮かぶのはその日そこにいた人々の平面的なシルエットだ。個人が区別されない悲劇の総体。
「私はね、心の中で拝んだ。『ごめんなさい、ごめんなさい』って謝ったよ。なにか自分が重大なことをしてしまったからこうなった気がして」
 私は言葉を止めた。どこからかピアノの音と手拍子が聴こえる。トヨさんはじっと私を見ていた。
「なにを笑ってるんだ」トヨさんが言った。
「笑ってないよ、おばあちゃん」私は首を振った。「笑うもんですか」私は椅子から立ち上がり、小さく伸びをした。新鮮な空気が肺に溜まり、吐く息で目の辺りがムズムズとした。「身を挺した人たちに感謝しないと」トヨさんは黙っていた。部屋を出るときになって「良子」とトヨさんが母の名前を呼んだ。私は振り向かず、後ろ手に扉を閉めた。
 玄関の窓口には今日も女性が座っていた。私が日傘を取ると「お気をつけて」とほほ笑んだ。自動ドアが開き、熱気が体にまとわりつく。トヨさんが再び倒れたのは、それからひと月と経たないある晩だった。


                                    

目をつむれば

 アキネーターが私やあなたのことを当てるより前に逃げださない? どこに、ってどこでもいいよ。ぜんぜん知らないとこならなおいいけどね。海とかは普通にいこう。とんびだウミネコだって空をかき回している輩に名前のない海にさ。コンビニで買ったソフトクリームが手のひらの温度でくにゃっとしなび、泡立った波頭の白さが似てくる海にさ。

記憶をもって旅にでた私たちってとてもきれいだ。だれも脅かさない、だれも踏みにじらない、そういうものとしての覚悟がにじみでているんだ。そんなことは無理だというやつは干物にしてしまえ。干物のうえでカラカラ回る吹き流しで切り刻め。本当はぜんぶ自分のため。っていう俯瞰はだれへの目配せか?

傷口は殺菌するよりも洗って風にさらすほうがいいのだといつ知ったよ? 私はおすすめにでてきた。雲が低く垂れこめている。二本の腕がつながっているみたいなシルエットで。温かいね、すべすべとしている、と指の肌をよわくこするとあなたが翻ったレースのカーテンみたいに笑う。泣き叫んで変えられた世界はいつの間にかしぶとくなったね。そのぶんだけ私たちの背も伸びたけど内面はぬいぐるみのころのままだよな。ガソリンスタンドの間隔がだんだん長くなる道をいこう。暗いものはさっきトランクにしまった。

 昼のつづきが夜だってこと知ったよ。ずっと起きてたからね。だれも起きかたを教えてくれなかったけどあなたとしたトランプのルールだけはたぶんだれかに教わったものだよね。あなたにかけた毛布のはじっこをにぎっていた。埃のにおいはどこか甘かった。光る気配のない電灯、カーテンレールの蜘蛛の巣。目をつむればすぐつぎの旅だ。

 私たちはおそらくいつまでも呼ばれないだろう。巨大な待合室は白い壁紙にチューリッピの凹凸。とっくに帰った産婦人科医。警備員のライトは猟犬の目。私たちは手をにぎっていつまでも呼ばれないだろう。呼ばれることに特化した彼ら彼女らはするどい凹凸。さげすむのでもなくむしろ応援されるのだろう。その背中を押す手が、歩みを加速させる手がなにか殺そうとも。

 山か谷かどっちも見たいが正解だと緑の畝が言っている。雲のかたちに黒ずんだ森。たえず動いて水分をふくんだ空気は分岐する。カーブの先に中華そばの赤い看板があるね、あるよ、あった、もうない。

 あなたになりたい私と私になりたいあなたはくっつきあっているのだけども背中のこわばったふたつの肉体はおなじように弧をえがき、おなじように穴をもち、ひとつになれない、今日にかぎらず、永遠は証明できなくともたぶんずっとそうだろうと思う。ただおなじ記憶をもつことが私とあなたを唯一むすぶ。笑った泣いた怒ったとかが。えぐいきついエモいとかがずっと。

 日暮れの田んぼにでっかい電柱が刺さっているのを撮った。泣いているとあなたの両手が花びらを持ってくる。ひらいて、風に舞うひとひらずつに光は吸いこまれていく。どこでだってねむれる。目をつむればすぐつぎの旅だ。

終わらない

 なにもかもめんどくさくなって人生というものが物質なら放り投げて捨てたい、という多感な時期を乗り越え、なんとか三十になった。『ハッピーバースデイ』とスタンプを送ってくれる友人が複数いることを私はもう少し幸せに思った方がいいな、と考えながらタピオカミルクティーを飲む。今日も仕事はくそで、それは上司との人間関係から来るくそなのでまるきりファックだった。

『えっまたやりあったのー、楓もやるねー』

あーまた私は友人に仕事の愚痴を言ってしまった。そんなつもりはないのだけれど、いまの私を構築しているものがほとんど呪詛なんだろう。口を開けば口臭のようにそれが垂れ流される。『まーでもなんとか。』と打ってみる。まぁ嘘ではない、生きてるし。『最近気づいたことなんだけど人ってなかなか死なないよね。病気とかで死んじゃう人はいるけど、人に殺される人ってあんまりいないじゃん。統計見ると殺人事件の件数ってどんどん減ってるんだよね。なんか昔は「ちゃんとしてないと殺される」みたいな謎の強迫観念にとらわれてたけどさ』『そんなんないわ!笑』『自分だけ?? まぁでもあの頃の自分狂ってたからたぶん、仕方ないね』

私は学生の頃の自分を振り返って苦笑する。あの頃欲しがってたものは堀田先生の遺伝子だった。『堀田! 懐かしすぎるんだが笑』『いまはもう誰の遺伝子でもよくなったけど』と打つと「お前はビッチ」としかめ面の猫が言ってるスタンプ。いやいや、ビッチさで言ったらね、当時の私の方がよっぽどですよ。堀田先生の遺伝子、つまりは精子を、なんとか手に入れられないか本気で考えてた。穴があったら入れていただきたかった。

 堀田先生は若いだけでべつにイケメンではなかったから、女子から人気があるわけでもなかった。けれど私は堀田先生の声が最高に好きだった。ちょっとつぶれて掠れた感じの発音がすごくいい。虫の羽音みたいで。

 あー早く受精したい、という口癖はいまでも繋がりのある二人の友達しか知らない。私は周囲的にはそういうことを言わない普通の女の子だった。ここで言う普通とは両手両足をもがれてマウンティングされている状態のことだ。普通っていうレッテルが暴力だなんてこと、改めて議論する余地はないね。

 私は堀田先生の陰毛から遺伝子を取り出すことができないかと本気で考えて、顕微鏡で見てみたことがある。それは堀田先生の教卓の下から出てきた薄くウェーブのかかったちぢれ毛だった。陰毛だ陰毛だ! と私は興奮して友達と理科の授業中こっそりと顕微鏡を使ったのだ。ただの毛じゃん。という結論に至るまで数分。私たちはくっくっ、と声を殺して授業中ずっと笑った。笑っても笑ってもあの頃は笑いはいくらでも込み上げてきたよな。いまはなんか笑うと在庫が減ってくのが分かるよね。なんの在庫か分かんないけど。

 堀田先生にとって私っていうのはなんだったんだろう。ただの生徒だよ、ってそんなこと知ってるけど、ちゃんとただの生徒として映っていただろうか。私は堀田先生の前では普通であろうとした。普通さのなかにしか先生の前に投げ出せる私はいなくて、特異な存在になろうとすれば途端に化けの皮は剥がれてしまう。私はなんてったって薄っぺらい。いつも普通にそこそこの成績で、そこそこ校則守って、そこそこ愛想もよくて、一番層の厚い普通のフィールドで誰かを隠れ蓑にしてドッジボールの球を避けてた。ゲームでいえば一生オフラインで「俺TUEEEE!!」をしていたいタイプだった。

 ふと考える、私三十になりましたよってふらっと先生の前に現れること。先生っていまでも先生やってるんだろうか。ダメだな、たぶん酔ってる。でも「堀田裕行」で検索してしまう。フェイスブックがいくつも引っかかるけど顔写真は無くて確定はできない。確定できたところでどうするの? 本当に会いに行くの? いまはもう好きなわけでもなんでもないのに。あの頃私はたしかにあなたの遺伝子が欲しかったです、って言いにいくの?

 バカじゃないの?

 高校の同窓会のグループLINEのなかに先生のアカウント「HIROYUKI」を発見したのはその夜二時のことだった。私はさんざん逡巡してアカウントを追加、した。してしまった。そのまま四時まで寝れなくて、一瞬意識が飛んだと思ったらアラームが鳴った。

 

「だからクライアントの要望ばっかりへいこらして聞いてたら仕事になんないんですよこっちは!」

「頭下げるのも仕事のうちだろうが! いつから仕事えらぶほど偉くなったんだお前は!」

「バカですねぇ、そうやって相手の言いなりで摩耗してどこかで必ずミスが起きる、エラーが出るんですよ、四十五十のおじさんが自分が思ってるより走れないくせに急に走り出して靭帯とかやるんですよ。そうやって転んで入院ってなったとき、医療費出せるような体力の会社ですか、うちが?」

「そうやって人の年齢をバカにしてるやつはいずれ同じ穴に落ちるのわかってんのか?」

「わかってますよ。三十なんでこっちも」

「三十かよ」

「三十ですよ、なんか課長に不都合ありますか?」

「あっても言わねぇよ、どうせ叩かれるのはオトコだからな」

 

 『堀田先生、ご無沙汰しております。大川楓です。と言っても先生は覚えていらっしゃらないと思うんですが……2008年に新田高校で先生が担任されてたクラスに在籍してました。ふと先生のお名前をグループLINEで見つけてメッセージしてしまいました。お元気でしょうか。もしわからなければお返事いただかなくても結構です』

 私はバカになることにした。自己批判の声に耳をふさぐことにした。もうすでに途絶えてる人間関係なのだから、これ以上失うものはないはずだった。そう決めてしまえば結構簡単にメッセージを送ることができた。そうして週末まで仕事をしてたら金曜の夜に返信が来た。

『もちろん覚えてますよ! たしか卒アルにメッセージ書いた気がします! 大川さんこそ元気ですか?』

 

 私の卒アル。そこにはたくさんの色で書かれた言葉がある。ぐっと真面目なもの、おちゃらけたもの、どちらも平等に時間の経過を経て錆びている。あの日私たちは何者だったか、の答えなんてそこにはないんだよな。先生のメッセージは中央やや右下にあった。「賢者でなくてもいい。すべてを知ることはできない。知らぬことへの怖れを捨てずにいてください」先生は私のことべつになにも知らない。どういう気持ちでこれを書いたか分からない。私は梅酒をちびちびと飲みながらしばらくそれを眺めていた。そうするうちに自分がなにをしたかったのか分からなくなってきて、マングースが狂暴化して人を襲う映画を観て寝た。

 

 返ってきたLINEに返信することもなく時間が過ぎた。会社を辞めることにしたのは先生の件とは関係なくて、あれだけ喧嘩してた上司がある日コクって来たからだ。気持ち悪かった。そうすることでいままでの喧嘩がぜんぶなにかのプレイだったみたいにされるのが心底許せなかった。会社のコンプライアンス委員会にぜんぶ暴露したうえで退職した。退職の翌日友達がパーティーを開いてくれて一緒に酒を飲んだ。友達たちは私のことをうらやましがり、私も仕事辞めたい、と口々に言った。私は、ほんとは不安だったけど、そのことは言わなかった。言わなくても友達はみんな察していただろうし、そんなことより一秒でも多くバカな話をしていたかった。そうやってお互いの時間をくだらないことで埋めていかないと勝手に変な意味が入りこんじゃうことがあるから。いつか振り返って「あの頃は楽しかったよね」なんて浸りたくないから。文脈のない世界。点と点が点のままのすばらしい世界。

 

 朝焼けを見た。起きてるのは私だけだった。ベランダから東の横に長いマンションを覆うように空がグラデーションの赤だった。こういうのって雨になるんだっけ。分からないけど写真を撮った。シャッター音でほかの子が起きないように気をつけて。パーティーの終わりが朝焼けとかかなりリリシズム。私の人生がまだ終わらないことへの祝福として。先生にLINEをした。『今度同窓会やったら来てくれますか?』って。