いつか聞いた話のつづき

今日も小説を書いて考える

『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』感想

※ネタバレを含みます。

 

春公開の映画を、アマプラで観ました。

凄い映画だった。間違いなく大九明子の、現状では最高傑作であると思う。

これは恋愛映画というより恋愛メタ批評映画だったし、恋愛物語を享受する、観客メタ批評映画だと思いました。その理由をいくつか書いていきます。

まず前半、いわゆるオーソドックスなボーイミーツガールが描かれる。同じ大学にいながら、周囲に馴染めず近い存在である二人が偶然の形で出会い、いくつかの共通点に気づいて距離を縮めていく。その様は、あきらかに『花束みたいな恋をした』を意識しているようにみえる。彼ら二人の多幸感あふれる光景が、しかし確実にその先の不穏を意識させる。

ひとつは音の演出のためだろう。この映画ではBGMがほとんど排されている。キラキラした恋愛の光景に、飾りつけるような音楽が鳴らない。高揚しきれない。このなんとなく祝福されていない感じが、得体の知れない緊張感を持続させている。

シーンの編集もそれと呼応しているように思える。恋愛に至るまでの生々しいやりとりをそのまま切り取っているように見せながら、横切っていく犬が突然スローモーションになったりする。かと思えばそれを追いかける河合優美の走る姿が、ほんのちょっとジャンプカットする。こういう、観ている側の生理を裏切るような編集も「ただの恋愛ストーリーじゃない」という気配に拍車をかけていると思う。

 

そして中盤、物語は大きくゆれ動き始める。とにかく伊東蒼(『さがす』も素晴らしかった)の演技がすごいのだが、彼女の長台詞シーンから、この映画の本当の軸が見えてくる。

それはつまり、「恋愛の名のもとに行われる加害」の話だということ。

誰かを大切に思う気持ちが、翻って別の誰かの気持ちもしくは存在自体を蔑ろにしてしまうことがある。彼女のとても長い台詞を聴きながら、観客は少しずつそのことに気づかされる。同時に、彼女と主人公の萩原利久を交互に映すショットに寒気をおぼえる。伊東蒼を映すショットは少し遠く、萩原利久はアップのショット。これが何度もくり返される。あまりに切実な伊東蒼の告白を、萩原利久は醒めた視点で見つめている。噛み合わない二人の心の距離が悲しく、一方的に醒めている主人公の心情が、恐ろしくも思えてくる(彼はあろうことか彼女の告白の最中に目を逸らして街灯を見上げてさえいる)。

そしてここに、恋愛感情が孕む加害性が容赦なく映されていると感じる。しかも長々とシーンはつづく。逃げさせてくれないまま、暗闇の中に観客も主人公も閉じ込められてしまう。いたたまれない。

しかし、それだけが主題であるならまだ平凡な作品だったと思う。大九明子脚本が凄いのは、その視野をもう少し拡げてみせたことだと思う。当たり前のことだが私たちが人を傷つけてしまうのは、恋愛の場面だけではないのだ。

それを象徴していてなおかつ原作には出てこないシーンとして、デモ行進がある。「戦争反対」等のシュプレヒコールをあげなる人々が何度か映される。また、テレビから恐らくイスラエルによる虐殺行為を取り上げるニュースの音声が流れてくるシーンもある。さらに言えばモーニングに通いつめる喫茶店のシーンもここに含まれる。

主人公はそれぞれにあまり関心がない(喫茶店のシーンでは、触れてしまうかもしれないマスターの過去のこと)ように描写されている。河合優美との甘いストーリーの裏で、私たちが穏やかに暮らしている裏側で、とんでもない悲劇が進行しているということがある(この映画のストーリー自体もそういう構造になっていますね)。

私たちはそこでなにを思えばいいのか。関心を払わないことが、なにかに加担することにはなっていないだろうか。

大九明子監督自身にそこまで直接的な意図はないのかもしれないけれど、私は感じざるを得なかった。

 

もうひとつこの映画が突きつけてくるものがある。それは、私たちがなにかしらのナラティブに接するとき、無意識に行っている「主役と脇役の選別」であると思う。

この映画で、最初から伊藤蒼のストーリーに感情移入して観れる観客がどれくらいいるだろうか(少なくとも私はできなかった)。

映画に限らず、あらゆるナラティブには存在の濃淡があり、私たちは濃い方にばかり気を取られる。

だから私はこの映画で、終盤次々明らかになる悲劇に、泣くことができなかった。泣く資格がないんじゃないかと思った(これを観て泣く人を批判する意図ではないです)。彼女が死んだ途端に、物語の中心に彼女を置くことに抵抗を感じた。

恋愛もののスパイスとして誰かの悲劇があることへの批評的まなざしも、この映画には含まれているのではないかと思う。

 

しかし、ここまで挙げたような、恋愛やそれ以外のすべてが孕む無意識の加害性を糾弾するのではなく、そういうことを自覚して生きていくことに視線が向けられている所がとても良い。なにしろ私たちはそうやって生きていくしかないのだ。

同時に、完全に気分が晴れるのではなく、少しのもやもやは残したまま、ふっと終わっていくのも素晴らしい。終盤、仏壇のロウソクの火が消えるシーンがある。生きていればまた誰かを傷つけてしまうことがあるだろう。それでもいま火は一旦消える。

 

いつかまたスクリーンで観たい。本当に凄い映画だったと思う。拙い感想を読んでくださってありがとうございました。