いつか聞いた話のつづき

今日も小説を書いて考える

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 大好きなバンドが解散を発表したその日のうちにおれは東京を見限り故郷へ帰ることを決めた。実家に電話すると母が出て唐突に「おれ帰るわ」と告げると「ほうしい(そうしなさい)」と言われ実家に戻れることが決まった。

 大した荷物もない部屋は数日で片付いたし、荷物より少ないこっちでの友達はおれの帰郷報告を聞いて「へぇ」となんの感情もわいてなさそうな顔でただ頷くのだった。

 引っ越しの軽トラックを見送ってから電車に乗り故郷へ向かった。中央線沿いの景色は正直ぜんぜん変わらないぜという気持ち。十年前、大学入学を機に上京した時のことが脳裏を掠める。東京初日、コンビニがマジでコンビニエンスな距離にあることに感動してその駐車場に座りこんで缶チューハイを何本も飲んだんだよな。いまも昼間なのにおれの手のなかには缶チューハイがある。あの日の缶チューハイと今日の缶チューハイどちらも美味い。いや正直もうアルコールとは美味いかどうかなどと吟味するような距離感ではないのだけど。

 中央線で甲府、そこからローカル線で一時間ゆられ、故郷の駅に着いた。正月にも帰ったし正直感慨とかはないのだけど、今日からまたここがおれの最寄り駅になるのだからちょっと感慨したくて駅舎を見ながら腰に手をあててまた缶チューハイを飲んでいた。

 そのときロータリーにワゴン車が一台入ってきたと思ったら選挙カーだった。「あおまるたもつ、あおまるたもつをよろしくおねがいいたします」と声が流れる。そういえば衆議院選挙近いんだった、と思いながら頭のなかで「あおまるたもつ」の文字列がくるくる回る。あおまる、たもつ。

 うわっ、と思った。あおまるたもつってあの青丸保かよ! とっさに選挙カーの方に振り向くとその車体には青丸の顔がでかでかとあった。おれは瞬間的に猫背をさらに丸め、顔を俯かせて車にはおのれのななめ後頭部を見せながら通り過ぎようとした。スライドドアの開く音が聞こえて、だれかが降りてきた気配があった。

「よろしくお願いします!」

 スピーカーを通してではなく、生の明瞭な声が聞こえた。どうもおれの方を向いて発せられた言葉に思えた。しかし無視して行こうとするといつの間にか声の主はおれのすぐそばに来ていたらしく「政策だけでもご確認ください!」と紙をおれに見せようとする。声には聞き覚えがあった。完全にそうだった。

「あれ……」青丸はそう言って「もしかして……ポンセ?」と訊いた。

「いや、」とおれは言ったけど立ち止まり一旦相手の顔を確認した。

 そこに青丸保がスーツを着て白いたすきをかけて立ってた。角刈り大工みたいな頭と濃い眉はマジであの頃と変わらなくてゲロが出そうだ。

ポンセ! 久しぶりだなー! なんだよ帰って来てたのかよ!」

 青丸がおれの肩をバンバンと叩く。秋だというのにそこはかとなく汗のにおいがしてくる。おれは「あぁ、まぁな」と答え半笑い。

「おれ出んのよついに国政」青丸が言う。「国政」おれは反芻してしまう。「そうよ国政!やったりますわ」と握りこぶしを見せてくる。「がんばって」「まぁとりあえず俺の政策見て電話でもちょうだいよ」と言われ押しつけられたチラシを持ったまま、おれは駅前からフェードアウトする。

 

「なーにが政策だよハゲ」

 ヤガイがそう言って飲んでいたビールのジョッキを青丸のチラシの上に置いた。ずっとこっちで暮らしているヤガイと連絡がついてよかった、と思った。道路沿いにポツンとあるこの居酒屋は家族連れのお客もいて、結構にぎわっている。

「親父が議員だったからいつかやると思ってたけど。基本的に世襲って有権者舐めてるよな」

 めちゃくちゃ偏った意見だと思うけどすごい言ってくれるからこいつ神、と思いながらおれもチューハイを飲む。

「高校のときも生徒会長やってたよな」と俺が言うと「やってたやってた、マジ権力大好きマンすぎて引くわ、キモいわマジで」気持ちいい。

 

 なんか外の空気を浴びたくなり、ふたりで居酒屋を出て近くのコンビニの駐車場に座りこんだ。ヤガイはビール工場で働いているという。「なんで帰ってきたの?」と訊かれ、「あそこにはなんにも無いって気づいたわ」と答える。「ほえ」とヤガイは煙草に火をつける。時々車が通るとき以外は耳の中でリーンと鳴るくらい静かだ。

「まぁここにもなんにも無いけどな」とヤガイが言った。

「そんなことないと思うけど」とおれが応えると顔の前で手を振って、「なんかどいつもこいつも狭いコミュニティであくせくして、いつだって近親相姦みたいな町だよ」と言う。なんかかっこいいことを言うな、と思った。

「でもお前が帰ってきたのは嬉しいわ」と言ってヤガイが立ち上がった。すたすたと歩いていく。コンビニのガラスに青丸のポスターが貼ってあった。「俺たちの手に取り戻そうぜ」と言いながら、酒を持ってない方の手で無造作にポスターを剥がした。

「ちょ、」おれは動揺し言葉に窮していた。コンビニのなかには店主のおっさんがいるはずだ。見られただろうか。ヤガイが道路の方へ走り出した。おれも走って追いかける。道路には民家が並び、シャッターの下りたレトロな感じのスーパーがあり、セメント工場があった。バッコンバッコンと心臓が鳴り、ヒューヒューと喉も鳴った。川が見えてきて、石だらけのその河原に下りた。ヤガイが座りこみ、おれは寝ころんだ。星は思ったほど見えないのがおれの故郷だったわと思い出した。

 

 おれはヤガイと同じビール工場でいろんな国出身の労働者に囲まれながら働き出した。解散したバンドのことは実はそれほど好きでもなかったと最近は思う。青丸保は当選した。当選した後に初めて青丸の政策に目を通したんだけど普通にいいこと言ってて感動した。次の選挙は応援したい。