いつか聞いた話のつづき

今日も小説を書いて考える

終わらない

 なにもかもめんどくさくなって人生というものが物質なら放り投げて捨てたい、という多感な時期を乗り越え、なんとか三十になった。『ハッピーバースデイ』とスタンプを送ってくれる友人が複数いることを私はもう少し幸せに思った方がいいな、と考えながらタピオカミルクティーを飲む。今日も仕事はくそで、それは上司との人間関係から来るくそなのでまるきりファックだった。

『えっまたやりあったのー、楓もやるねー』

あーまた私は友人に仕事の愚痴を言ってしまった。そんなつもりはないのだけれど、いまの私を構築しているものがほとんど呪詛なんだろう。口を開けば口臭のようにそれが垂れ流される。『まーでもなんとか。』と打ってみる。まぁ嘘ではない、生きてるし。『最近気づいたことなんだけど人ってなかなか死なないよね。病気とかで死んじゃう人はいるけど、人に殺される人ってあんまりいないじゃん。統計見ると殺人事件の件数ってどんどん減ってるんだよね。なんか昔は「ちゃんとしてないと殺される」みたいな謎の強迫観念にとらわれてたけどさ』『そんなんないわ!笑』『自分だけ?? まぁでもあの頃の自分狂ってたからたぶん、仕方ないね』

私は学生の頃の自分を振り返って苦笑する。あの頃欲しがってたものは堀田先生の遺伝子だった。『堀田! 懐かしすぎるんだが笑』『いまはもう誰の遺伝子でもよくなったけど』と打つと「お前はビッチ」としかめ面の猫が言ってるスタンプ。いやいや、ビッチさで言ったらね、当時の私の方がよっぽどですよ。堀田先生の遺伝子、つまりは精子を、なんとか手に入れられないか本気で考えてた。穴があったら入れていただきたかった。

 堀田先生は若いだけでべつにイケメンではなかったから、女子から人気があるわけでもなかった。けれど私は堀田先生の声が最高に好きだった。ちょっとつぶれて掠れた感じの発音がすごくいい。虫の羽音みたいで。

 あー早く受精したい、という口癖はいまでも繋がりのある二人の友達しか知らない。私は周囲的にはそういうことを言わない普通の女の子だった。ここで言う普通とは両手両足をもがれてマウンティングされている状態のことだ。普通っていうレッテルが暴力だなんてこと、改めて議論する余地はないね。

 私は堀田先生の陰毛から遺伝子を取り出すことができないかと本気で考えて、顕微鏡で見てみたことがある。それは堀田先生の教卓の下から出てきた薄くウェーブのかかったちぢれ毛だった。陰毛だ陰毛だ! と私は興奮して友達と理科の授業中こっそりと顕微鏡を使ったのだ。ただの毛じゃん。という結論に至るまで数分。私たちはくっくっ、と声を殺して授業中ずっと笑った。笑っても笑ってもあの頃は笑いはいくらでも込み上げてきたよな。いまはなんか笑うと在庫が減ってくのが分かるよね。なんの在庫か分かんないけど。

 堀田先生にとって私っていうのはなんだったんだろう。ただの生徒だよ、ってそんなこと知ってるけど、ちゃんとただの生徒として映っていただろうか。私は堀田先生の前では普通であろうとした。普通さのなかにしか先生の前に投げ出せる私はいなくて、特異な存在になろうとすれば途端に化けの皮は剥がれてしまう。私はなんてったって薄っぺらい。いつも普通にそこそこの成績で、そこそこ校則守って、そこそこ愛想もよくて、一番層の厚い普通のフィールドで誰かを隠れ蓑にしてドッジボールの球を避けてた。ゲームでいえば一生オフラインで「俺TUEEEE!!」をしていたいタイプだった。

 ふと考える、私三十になりましたよってふらっと先生の前に現れること。先生っていまでも先生やってるんだろうか。ダメだな、たぶん酔ってる。でも「堀田裕行」で検索してしまう。フェイスブックがいくつも引っかかるけど顔写真は無くて確定はできない。確定できたところでどうするの? 本当に会いに行くの? いまはもう好きなわけでもなんでもないのに。あの頃私はたしかにあなたの遺伝子が欲しかったです、って言いにいくの?

 バカじゃないの?

 高校の同窓会のグループLINEのなかに先生のアカウント「HIROYUKI」を発見したのはその夜二時のことだった。私はさんざん逡巡してアカウントを追加、した。してしまった。そのまま四時まで寝れなくて、一瞬意識が飛んだと思ったらアラームが鳴った。

 

「だからクライアントの要望ばっかりへいこらして聞いてたら仕事になんないんですよこっちは!」

「頭下げるのも仕事のうちだろうが! いつから仕事えらぶほど偉くなったんだお前は!」

「バカですねぇ、そうやって相手の言いなりで摩耗してどこかで必ずミスが起きる、エラーが出るんですよ、四十五十のおじさんが自分が思ってるより走れないくせに急に走り出して靭帯とかやるんですよ。そうやって転んで入院ってなったとき、医療費出せるような体力の会社ですか、うちが?」

「そうやって人の年齢をバカにしてるやつはいずれ同じ穴に落ちるのわかってんのか?」

「わかってますよ。三十なんでこっちも」

「三十かよ」

「三十ですよ、なんか課長に不都合ありますか?」

「あっても言わねぇよ、どうせ叩かれるのはオトコだからな」

 

 『堀田先生、ご無沙汰しております。大川楓です。と言っても先生は覚えていらっしゃらないと思うんですが……2008年に新田高校で先生が担任されてたクラスに在籍してました。ふと先生のお名前をグループLINEで見つけてメッセージしてしまいました。お元気でしょうか。もしわからなければお返事いただかなくても結構です』

 私はバカになることにした。自己批判の声に耳をふさぐことにした。もうすでに途絶えてる人間関係なのだから、これ以上失うものはないはずだった。そう決めてしまえば結構簡単にメッセージを送ることができた。そうして週末まで仕事をしてたら金曜の夜に返信が来た。

『もちろん覚えてますよ! たしか卒アルにメッセージ書いた気がします! 大川さんこそ元気ですか?』

 

 私の卒アル。そこにはたくさんの色で書かれた言葉がある。ぐっと真面目なもの、おちゃらけたもの、どちらも平等に時間の経過を経て錆びている。あの日私たちは何者だったか、の答えなんてそこにはないんだよな。先生のメッセージは中央やや右下にあった。「賢者でなくてもいい。すべてを知ることはできない。知らぬことへの怖れを捨てずにいてください」先生は私のことべつになにも知らない。どういう気持ちでこれを書いたか分からない。私は梅酒をちびちびと飲みながらしばらくそれを眺めていた。そうするうちに自分がなにをしたかったのか分からなくなってきて、マングースが狂暴化して人を襲う映画を観て寝た。

 

 返ってきたLINEに返信することもなく時間が過ぎた。会社を辞めることにしたのは先生の件とは関係なくて、あれだけ喧嘩してた上司がある日コクって来たからだ。気持ち悪かった。そうすることでいままでの喧嘩がぜんぶなにかのプレイだったみたいにされるのが心底許せなかった。会社のコンプライアンス委員会にぜんぶ暴露したうえで退職した。退職の翌日友達がパーティーを開いてくれて一緒に酒を飲んだ。友達たちは私のことをうらやましがり、私も仕事辞めたい、と口々に言った。私は、ほんとは不安だったけど、そのことは言わなかった。言わなくても友達はみんな察していただろうし、そんなことより一秒でも多くバカな話をしていたかった。そうやってお互いの時間をくだらないことで埋めていかないと勝手に変な意味が入りこんじゃうことがあるから。いつか振り返って「あの頃は楽しかったよね」なんて浸りたくないから。文脈のない世界。点と点が点のままのすばらしい世界。

 

 朝焼けを見た。起きてるのは私だけだった。ベランダから東の横に長いマンションを覆うように空がグラデーションの赤だった。こういうのって雨になるんだっけ。分からないけど写真を撮った。シャッター音でほかの子が起きないように気をつけて。パーティーの終わりが朝焼けとかかなりリリシズム。私の人生がまだ終わらないことへの祝福として。先生にLINEをした。『今度同窓会やったら来てくれますか?』って。