いつか聞いた話のつづき

今日も小説を書いて考える

引っ越し

 ラブリー引っ越しセンターです、本日はよろしくお願いいたしますと電話があり、それから一時間後に現れたのは、私と同じくらいの年格好の青年だった。短パンにTシャツのラフな格好で、一足早く初夏の陽気を感じているようだった。青年は部屋のなかを見渡し、後から入ってきた年若い金髪の青年に「これなら蛇腹ふたつでいいわ」「本は後からいこ」などと伝え、作業始めます、と私の方を向いた。
 元夫とふたりで詰めた段ボールを手際よく運んでいく。箱を一度に三つも持っていくその背中は無駄な脂肪が無いように見える。小柄な男性ながら全身に力が漲っていると感じる。無意識に元夫と比較していた。元夫は痩せぎすで背が高かった。重いものを抱えるとすぐに腰が痛くなる男だった。昨日やって来て、仕事の車に自分の荷物を載せて帰っていった。埼玉に引っ越すと言っていたが、詳しい場所は聞かなかった。
 作業を任せて、新居の方に移動した。駅の南側から北側への移動である。日射しがつよく、蒸し暑かった。徒歩で15分歩くと、たっぷりの汗をかいてしまった。新居の前に先ほどの青年が立っていた。
「お疲れ様です。お荷物の方全部捨てました」青年は朗らかにそう言って頭を下げた。私は動画ありますか、と尋ねる。じゃあお部屋の方で、と青年が言った。アパートの前に停まったトラックの荷台で、金髪の若者と、中年の男性が胡座をかいて談笑していた。


 青年の取り出したスマートフォンに動画は入っていて、青年がひとつひとつの物を丁寧に破壊している様子が納められていた。青年は手に大きい金槌を持っていた。ぐしゃっと音がして、段ボールがつぶれる。なかから出てきたのは食器だった。青年は乱暴に足で箱を蹴飛ばした。撮影しているのは金髪の青年だろうか。ときどき画面が激しく揺れるなかで、青年は淡々と物を破壊してゆく。カラーボックス、ローテーブル、Wi-Fiルーター、ノートパソコン、テレビ、扇風機。青年が金槌をふるうたび、それぞれの硬度に応じた音がする。青年はいつの間にか腕まくりをしていて、額には汗がにじんでいる。びっくりするほど白いタオルを首からかけていて、ときどきそれで顔をぬぐう。真剣な眼差しは、スマートフォンを差し出している今も変わらない。冷蔵庫は特に念入りに破壊された。表面の金属が叩かれるにつれて剥離し、内側の機械があらわになる。がしゃんがしゃんと音を立てて、冷蔵庫はぼこぼこにひしゃげた箱になっていった。
 動画はそこで終わった。青年は「以上です」と言い、スマートフォンをポケットにしまった。そしておもむろに窓の方に寄り、金槌を取り出すと振りかざした。せんべいのようにいとも容易くガラスが割れた。がらんがらんと部屋の外に破片が落ちていった。そうだ、下の階の方に挨拶しなければ、と思う。青年は備え付けのエアコンに金槌を向けた。ボコンと音がして、エアコンの真ん中に穴が空いた。青年の背中に筋肉が隆起しているように見えた。
 お客さん、おひとりで大変でしょう、と青年は襖に穴を空けながら言った。でもこの辺はのどかで良いところですよね、僕の実家もとなり町なので分かります。ただ、この辺犬を飼ってるお宅多くないですか。僕ね、犬は嫌いなんですよ、小学校のとき、クラスで犬を飼ったんですよ、保健所からもらってね。でもある日、コロって名前だったんですけど、コロが殺されてて。近所の変質者がやったみたいです。クラスのみんな泣いてて。僕はそんなに泣かなかったんですけど、そしたら担任が僕のところに来て、こういうときは悲しい気持ちになるんだよ、って言ったんですよ。まぁ、とにかくそれから犬は嫌いです。
 一通り破壊して、青年はハアハアと肩で息をしていた。僕も体力あった頃に比べるとだいぶ下り坂で。一日持たないんすわ。いやぁ、でも今日は暑いですね。明日はまた雨みたいですけど。では料金よろしいですか、六万五千円ですかね。私は封筒に入れていたお金をそのまま青年に渡した。青年はお札を二回数え、ポケットにしまった。たしかに。青年からは少し汗の匂いがした。


 トラックが去っていくエンジン音が終わると、静かなものだった。この辺りは一軒家が多く、自然も豊かで、眠りを妨げるようなものはなにひとつ無さそうだった。シャワーを浴びて出たところに元夫から電話が来ていた。
「もしもし。引っ越し無事終わったかな、と思って」
「うん。全部捨てられて、今バスタオルも無いまま裸でいるの」と言うと、元夫は静かに笑った。
「それはいけないね。近所で買って今から持っていくよ」
「ありがとう」
 電話が終わると、母にLINEを送った。『引っ越し終わりました』というメッセージはすぐに既読になったが、返信はなかなか無かった。私はフローリングの床に裸のまま座った。尻に冷たい感触がある。元夫は着替えも買ってきてくれるだろうか。アパート前の道をバスかなにかが走り抜け、建物全体が、微かに揺れた。